図書館に資料を探しに行こうと思っていたけど
いつもどおり何となく寄り道してしまい、
久しぶりに公文書館の中に入ってみた。
歴代の知事や鳥取県人の北海道移住など資料が
展示されていたのでちらっと学んで、
棚にある本にも目をやったが特に見たいものが
なかったが、はたと「京都大学学徒出陣の記録」を
手に取った。
在籍していた学生の学徒動員から戦死の記録など
一人ずつ記してあった。中には、どこでどのようにして
亡くなったのか不明な人も少なくなかった。
中盤ごろに、ある学徒とその家族が交わした手紙の記録
があった。
空軍に志願したようで飛行訓練について家族に報告したり、
日常の様子を伝えるものがあった。
明るい、とても明るい気丈な文章。
毎度の手紙の中で、
「自分は健康でみなさん、何も心配することはありません。」
家族一人一人への気遣い、そして
「私はお国のためにがんばります」
それがお父さん、お母さんの誇りとなりましょう。
家は継げないけれど、国のためにつくすことの方が大切ですから。
と、綴ってあった。
国のために死ににいく。
特攻に早く行きたい、楽しみでしょうがない。
自分は敵をどれだけ打ち落とすことができるだろう。
早く国のために働きたい。
特攻の日が決まったときは、家族への手紙の文量も
それまでの3~4倍になっていた。
そこには変わらず家族への思いやりと「国のため」。
最後に「さようなら」「終」
と記してあるところが、とても切ないなと思った。
予定の特攻の日が機体のトラブルのため延期となる。
つまり、延命となった。その日にまた、最後の一通と手紙を書く。
本当にあなたは、手紙の通り特攻に散る人生を幸せと思って
いたのですか?
時代がそうさせていても、死ににいくのが幸せと思っている
なんて人ばかりのはずがない。
でもそういう教育を受け、社会全体もそう。
そんな中マヒしてしまうのか。
マヒしていなくてはならなかったのか。
わずか24歳で1945年5月13日の空に消えていった彼は、
そして彼の家族は、
本当はどんな思いだったのか…。
戦争に想いを馳せると
ニッポンの特に夏という時期は、どんなににぎやかで、華やかで、
都会のど真ん中にいようとも、なんとなく
何か静かな、無音の無動の青いものがこみ上げてくる。
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な、と思いながら資料を閉じました。